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2018-08-13

オテル・ドゥ・ミクニ『三國シェフ』から考える。


8月12日に三國シェフの誕生日会をスコッツマンで行って頂きました。

この本は僕が15歳の時に買った本です。

 

 

15歳の時、この本を本屋さんで見た時に思いました。

『荒武者のようなのにシェフでカッコいいな!』

 

テレビ番組で三國シェフを見て、この本を買いに行ったようなもんです。

 

ただただ、この人に会いたいな!

って感じです。

高校生になりバイトが出来るようになったからお金をため
それを友人と一緒に都内のレストラン、料亭に食べに行っていた
ませた高校生でした。(笑)

 

もちろん、三國シェフのレストラン
『オテル・ドゥ・ミクニ』へも幾度となく足を運びました。

 

そしてアルバイトを許可されました。
夏休み、冬休みなど長期連休の日は都内にウィークリーマンションを借り
ミクニのキッチンに入り9時のミーティングをして
夜10時まで皿洗いに明け暮れました。

いい思い出です。

その時、洗い場を教えてくれた先輩にも会えました。

 

 

真ん中がシェフで右の方が色々と教えてくれた先輩です。
本当に親切で事細かく教えて頂きました。

お皿に呼び名があって、男性、女性があって・・・・

シェフのイメージで使うお皿が変わって・・・・

それを共有できる考え方が必要だと思いました。
だから、シェフのことが掲載されている本は全て買って
今、現在シェフは何をどう考えているのかを頭の中に入れました。

ある意味、僕にとって教祖様です(笑)

 

 

 

先輩は今は料理人ではなくシェフパティシエです。
細かく丁寧な性格は、そのまま仕事に表れていると思っています。

その先輩がシェフの誕生日ケーキを作ってくれました。

美味かったです!!!!!!!!

 

今の僕はモヒカンで、ピアスして、刺青あって・・・
実は・・・これ、ミクニ時代から変わっていないんです。

先輩方には相当言われました。
当然と言えば当然の話です。

料理人だし、オテル・ドゥ・ミクニなので!

諸先輩曰く、先にも後にも僕以外は・・・いないそうです。

これは自分へのプレッシャーと前に書いたことがあると思います。
言われないように完璧な仕事をすると自分で決めていたので。

『絶対に言わせない!』

毎日、毎日、自分に言い聞かせていました。

 

色んな料理人がいました。
憧れすぎて好きすぎて・・・おそれ多いという
ごく一般的で当たり前の考え方だと思うんです。

でも、僕はシェフに憧れすぎて好きすぎて・・・近くにいたかった。

だから怒られても近くにいることが一番仕事が見える!

そう思って近づきすぎて怒られたこともありました(笑)

 

ミクニを辞め、フランスへ行き、フレンチを辞め帰国。
ビール、ウイスキーがメインの英国文化のパブを開店しました。

今年の12月で8年になります。
僕は10年経ったら三國シェフに『独立して10年経ちました』という
報告をしに行こうと考えているので
帰国してからもミクニの地に足を踏み入れていません。
それも自分で決めたことだからです。

大好きだったフレンチを辞め、パブを開店という
何とも自分勝手な行動を自信をもって報告できるのに
10年はやり切らないとシェフに報告できないと思っているからです。

 

でも、それより先に三國シェフがスコッツマンに来店を頂くという奇襲!

 

ありがたいです。

 

フレンチじゃなくてパブなのでそういう雰囲気の中でお迎えをしたかったので
料理は奇をてらったフレンチとかは出しませんでした。
コロネーションチキン、フィッシュ&チップス、ハギス、ロースト・・・
極々一般的なイギリス料理です。

これが、今の僕で
これが、ロイヤルスコッツマンだからです。

 

そして、僕の小道具『バグパイプ』の演奏も♪

 

 

無事に三國シェフの誕生会を終えることが出来ました。

ご来店していただいた諸先輩方、どうもありがとうございました。
同期の仲間も、どうもありがとうございました。
僕に小言を言われ続けた後輩も、どうもありがとうございました。
シェフをはじめ関係するみんなにサービスしてくれた妻やスタッフ、どうもありがとうございました。

 

 

三國シェフは僕にとって本当に偉大な人で
育ててくれた親のような存在です。

憧れから始まり、一緒に四谷で空気を吸いながら仕事をした日々は
何物にも代えられない大切な宝物です。

 

15歳の時に買った、この本。

 

 

この表紙の裏に三國シェフに書いていただきました。

 

 

不易流行(ふえきりゅうこう)

 

俳諧の理念。松尾芭蕉が元禄2 (1689) 年冬頃から説き始めたという。
一般には句の姿の問題として解され,趣向,表現に新奇な点がなく
新古を超越した落ち着きのあるものが不易,
そのときどきの風尚に従って斬新さを発揮したものが流行と説かれる。
しかしまた,俳諧は新しみをもって生命とするから,
常にその新しみを求めて変化を重ねていく流行性こそ俳諧の不易の本質であり,
不易は俳諧の実現すべき価値の永遠性,流行は
その実践における不断の変貌を意味するとも説かれる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

 

三國シェフがなぜ、この言葉を書くんだろう!?

シェフの名前は清(きよみ)と言います。
苗字は國(みくに)です。

だから三、三で33年が節目とも言っていました。
それが今年2018年なんです。

そういう時代の中で様々な状況があり、様々な問題もあったと思います。

そういう意味が全てこもっていると思うんです!!

 

レストランというだけでなく企業の継続に必要な
「残し伝えるべきもの・変えるべきもの」ということ。
伝統の継承と変革。

 

シェフ自身が「不易流行」だと思います。
日本のフランス料理界の継続性と変革性の洗堀者。それが三國シェフ。
伝統として残し伝えるべきものはきちんと残し継承し、
変えるべきものは勇気をもって変える変革することにより
レストラン、企業は継続することができる。

それがシェフの言う「不易流行」だと。

 

さて、僕には何が出来る!?

僕もシェフから継承をされた人間の一人です。
それを考え、行動することが
シェフへの一番の恩返しになるんだと強く思った1日でした。

 

長くなってしまった・・・!!

 


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